年賀状の

呪いについて。
今年も友人から年賀状が届いた。同じ学び舎で同じ時間を共有した友人たちの年賀状の奥にはこどもの写真が使われている。会ったことはないこどもが年々成長していくのを見るのは悪くない。しかしながらいずれ彼ら(どういうことが年賀状に写っているのは男の子ばかり)は自分の写真が使われることを恥ずかしがるようになって、何の変哲もない年賀状に変わってしまうのだろうなと考えると淋しい気持ちになる。もっと家族写真で年賀状を作って欲しいと思う。
それにしてもわたくしにも結婚をして、こどもを産んで、年賀状に家族写真を使うアースがあったのかもしれないと思うと、若干居た堪れなくはなるけれども時間が巻き戻ったところで同じことをすると思うので、これは年賀状の呪いだ。

あるのはちょっと若さへの未練

カリカが解散した時点で、わたくしのなかではなにかが終わったのは確かだけれど、家城さんが芸人を辞めるというのはそんなに簡単に受け入れられることではないのだ。

いつかまたコントをしてくれるなら。その日がいつかくることをずっと楽しみにしてる。

切ない眩さで

11期というのは特に優秀な代だとずっと思っていたのだけれど、いつの間にか解散とか引退とか淋しくなってしまいましたなあ。そりゃあ11期って92年入校ですからね、長いあいだやっていれば続けられなくなることだってあるんでしょうけど。辞めてしまうのは、本当に淋しい。渋公でやった公演とか、でくがひとりでやったトークショウとかをなつかしく思い出したりしています。ハリガネには漫才しかないと思ってたなあ。ゆっくんのごりごりした熱みたいなものは、でくがいてこそ活きるというか、ああでもコンビなんてたいていそんなものか。
とかなんとか思いつつも、わたくしは結局シェイクダウンのことに考えが行きついて、ごっちゃんの引退がいまだ飲みこめていないことや、プランからつかさや灘儀くんがいなくなってしまったことに切なくなるのでした。

Quiet Counterattack

2年ほどわたくしの上司であった人が退職することになり、今日が最終出勤日でした(先日面談で泣いてやった上司)
いままで異動なんかでうちの部からいなくなった人は義理堅いようで割とあっさり去って行ったものだけれど、上司はひとりひとりに(すごく忙しいのに)(我々が)話しかけてくれて、なんだ結構いいひとっていうか、破天荒だと思ってたけどまともなひとだったんだなと思いました。
そんな上司からは「あなたはもっといろんなことをやりなさい、他の世界も見なさい」という言葉をかけられました。前々から「やりかたが上手くない、勿体ない」というようなことを言われておったので、最後までそうかーと思いましたが、視野が狭いことを指摘してくれるひとは多くないので、ありがたくこの場に残しておきます。
もうすこし話をすればよかったね(去年の夏はもう顔も見たくないくらいだったので、それを思えばよくぞここまで関係が修復出来たなと思う)