年賀状の
呪いについて。
今年も友人から年賀状が届いた。同じ学び舎で同じ時間を共有した友人たちの年賀状の奥にはこどもの写真が使われている。会ったことはないこどもが年々成長していくのを見るのは悪くない。しかしながらいずれ彼ら(どういうことが年賀状に写っているのは男の子ばかり)は自分の写真が使われることを恥ずかしがるようになって、何の変哲もない年賀状に変わってしまうのだろうなと考えると淋しい気持ちになる。もっと家族写真で年賀状を作って欲しいと思う。
それにしてもわたくしにも結婚をして、こどもを産んで、年賀状に家族写真を使うアースがあったのかもしれないと思うと、若干居た堪れなくはなるけれども時間が巻き戻ったところで同じことをすると思うので、これは年賀状の呪いだ。
ささやかだけれど役に立つこと
最低気温が10度以上になるまで、カイロを貼るのを忘れない。
あるのはちょっと若さへの未練
サイコロを振らずに芸人を辞めました。告別ショーにお越しいただきありがとうございました!!ゼロから脚本の勉強をしていきたいと思います。今やらせてもらってる仕事だけは吉本と局の方々の話し合いで最後までやらせてもらえることになりました。最後まで頑張ります!ありがとうございました。
— 家城啓之 (@manbouyashiro) 2016年7月18日
カリカが解散した時点で、わたくしのなかではなにかが終わったのは確かだけれど、家城さんが芸人を辞めるというのはそんなに簡単に受け入れられることではないのだ。
40歳おめでとう。引退おめでとう。もうこれで心置きなくすべれるね。良かったね。またいつかコントしようね。おめでとう。幸あれ!!!
— 林克治(よしはる) (@rinkeiso) 2016年7月18日
いつかまたコントをしてくれるなら。その日がいつかくることをずっと楽しみにしてる。