わかったら真っ先にお前に知らせるよ

うじうじとしているわりに、人前ではへらへらおもしろおかしいことを口にして笑わせて、盛大にため息をついている自分を噛み砕いて飲み込んだつもりでも、それは消化されることなくこころの中にどんどん蓄積されていって、「ああ、こんなの自分じゃないやい」と強がってみても、「じゃあ本当の自分ってなんなのさ?」と返す刀で滅多打ちにあい、「もしかしたら他人の前で道化師になれる自分も本当なんじゃないか」とか、「高尚な悩みがあるふりをして格好をつけているだけなんじゃないか」なんて思ってうなだれてみたりもしつつ、ならばそんな自分も認めてあげなくてはこの先一歩も進めないじゃないか、ホンモノでもニセモノでも入れ物は変わらないのだから、他人はもとよりちょっとした知り合いなんかとも上手に付き合っていくことの出来ない自分、意味不明な自尊心を持っているがためにつまらない意地を張ってしまう自分、そんなしょっぱい自分も否定しないで済むのなら、なんて素晴らしいのだろうか。


自分も人生もまっくらでなにも見えない。だからこそ進む。なにもかもお見通しで、それこそ自分が死ぬときまでわかってしまっていたら、生きていてもきっとつまらない(勿論結末を知っていたい事柄もたくさんあるのは事実)
生きていくことは喜びや悲しみと表裏一体。ああ、明日には晴れるといい。